Les Misé blue
2022.11.23 発売
UKDZ-0234
「真空管の音が好き高校生になったら部屋で毎日ギター弾いてた~」と口ずさみながら本当に部屋で毎日ギターを弾いていた高校時代から変わらず五十嵐さんのギターの音が好きです。
ギターの音って不思議で、同じアンプ、同じギター、同じセッティングでも違う人が弾くとまるで違う音が出るんです。
五十嵐さんの煌びやかで、それでいて薄い鉛でコーティングされたような左胸に響くギターの音を聴いていると、自分の体内で五十嵐さんが叫んでいるような錯覚に陥ることがあります。
悔しいけどこの音を出せるのは世界に1人しかいないんですよね。
syrup16gの新作を待ち侘びていました、発売おめでとうございます!

斎藤宏介 (UNISON SQUARE GARDEN / XIIX)

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“Les Misé blue”のレビュー

  1. がっちゃんががっちゃんのまんま角が取れたような気がします。
    安心感と優しさがたくさん増えて何か失った様で何も失われていないかもしれない。

    聴いている人達の目をしっかり見てくれている印象を受けたアルバムです。
    Syrup16gはもう死なないのかも

  2. 15年ぶりにお披露目ライブに足を運んで2005年の新曲だらけのライブを思い出しつつ、時勢もあり着座でしかも最前だったので伝統芸能を見ているような気分だった。
    自分は何も成長していないけれど、見に来ている人や社会やバンドはすこし丸くなったようで時の流れを感じた。
    久しぶりのリリースまでの緊張感(でもあの頃とは確実に違う)、発売日にタワレコ、リリースライブ。
    生きてる実感をありがとうございました。

    最後の曲には青春を感じて、ライブでも流れるように演奏されたのがとても清々しかった。
    これからもよろしくお願いします。

  3. 再発以降の五十嵐氏は、しっかりと観客と向き合ってライブをしているように見えた。(本来、当たり前の事かもしれないが、解散に至るまでの数年はそんな余裕はなさそうで。だからこそのキレッぷりが持ち味だったとも言える。)コロナ状況下で無観客や声出し不可という条件下になってもその姿勢はブレることはなく、頼もしさを感じるくらいだった。

    今作でも意志は貫かれているように思う。過去作と同様に五十嵐氏の孤独や不安が歌詞の随所に現れているが、吐き捨てるような形ではなくて、聴き手と共有しようとしてるように感じるのだ。
    『ひとりの世界はひとりじゃないから』『ひとりの世界は仲間がいっぱい』『友達みたいな言葉をあげるよ』。ラストの表題曲でこう歌われるのを聴いたとき、今この時代を共に生きている存在として「syrup16gが居てくれて本当に良かった」と、素直にそう思えた。

    5年間本当に待ち侘びた。次作はまた時間が空くかもしれない。でも心配しなくても大丈夫な気持ちでいる。きっと次もsyrup16gにしか出来ないことを突き詰めて、誠実な作品を届けてくれるはず。それまでは今作を含む彼らの作品に寄り添って貰いながら、生き延びたいと思う。

  4. 優しさがあって、なお強く、思いがリアルに伝わってくる素晴らしいアルバムです。

    Les Misé blueは温かく幸せな気待ちになるので、入浴中や寝る前に聴いても安心なロックンロールです。
    聴いていると大切な人の事を思い出して、その人が沢山笑って、美味しいものを食べて、元気でいて欲しいと思えて、だんだん自分も嬉しくなってくる、そんな曲ばかりです。

    歌詞やメロディ、CDのアートワークにも、何か一貫したものを感じさせ、魂を宿しているかのような強い思いが感じられます。

    歌としてあまり聞いた事がない歌詞が出てきますが、まさに今を生きる人の言葉であり、意外と口ずさむと気持ちいいので、ストレス発散になります。
    また、ライブで聴いているかのようなスリリングな展開の曲もあって、何度聴いても新鮮でみずみずしさが感じられます。
    そんな生々しさは名曲「リアル」の”本当のリアルはここにある”という歌詞を彷彿させ、本当のリアルって本当にあるんだと体感させてくれました。
    最初の曲から最後までロマンチックでCD一枚通して聴くと古典名作映画を観た後のような清々しさがあり、良いものは良い、本当に大事なものはこういう事なんだと改めて気づかせてくれます。最高のアルバムです。

  5. 5年ぶり、そんなに経っていたんですね。

    このインターバルは、人それぞれ、ひとまとめに言葉にすることができない時間の積み重ねだったと想像する。
    再生する指もどこか緊張した。たとえば久しぶりに会う人と、かつてのように同じ景色を見られるとはなかなか思えなくなっていたのと似ている。
    どんなに思い入れがあったものでも同じ方向すら見られないこともままある、それがどんなに残酷な形でも突きつけられるということを、知っていたはずなのに思い知った期間でもあったので。
    けれど、一年前のライブのセットリストに、勝手ながら信頼を抱いてはいたのです。
    新しい曲と、いま鋭さを増した過去の曲だけが選ばれていたから。

    『Les Misé blue』は、
    少なくともここ数年で聴いたたくさんのアルバムの中でも、群を抜いて立体的な音楽だと感じた。
    きっと、机上のデザインではなく、何度も何度もその場で、”現状”のような形で触れて、音楽を成形していったのではないかと空想させる。
    そうして、再生側ではまったく予想できないような飛距離の言葉遊びや韻が、
    音楽として聴き手の胸を打ったり、跳ねさせたり。

    こんなに痛覚や切なさに触れてくる「確かに」(『Maybe Understood』)は初めて耳にした。
    日本語を知らない人が聴いたら、どんな意味の言葉に聴こえるんだろうと思う。
    『うつして』の、祈りのような綺麗なギターのストロークに、わたしは何年経ってもこの冷たく光る冬の肌触りを思い出すだろう。
    なんども聴いたあとで、気がついたら残っていた掻き傷のような、「仲間に入れなくても、この世界を愛していた」(『Alone in lonely』)の柔らかい痛み。これをわたしが忘れませんように。
    そうやって繰り返し再生されていくのだと、この先の何年かに思いすら馳せた。

    分け隔たれた季節のあとですが、わたしは色んな人に、この5年に何を聴いていたかとか、
    もっと前、シロップが解散したあとの時期、何を聴いていたかとか、いまとても、尋ねてみたい。
    「ひとりの世界は、ひとりじゃない」。
    これは、皮肉でもあり、やわらかな事実でもある。
    どちらもわたしたちだと思った。
    このアルバムを聴きながら、いろんな場所に行きたい。
    そういうアルバムも、syrup16gに関しては初めてです。(※ファンなので、どこで聴いても良いものは良い!というのはあるのですが、それとはまた別の軸で)

    言ってしまえば、かつて同じ景色を見られていた、というのも幻想だけれど、そのころは幻想でも良かった。
    けれどいま、この幻想ではない歌、目を閉じないでいられる新しい歌が、ほんとうに素晴らしくて涙が出そうになる。
    それを受け取る手のひらが自分に残っていてよかった。
    「友達みたいな言葉をあげるよ」と、焦点の合う場所でただそのままを歌ってくれる、
    Rockの、syrup16gの音楽の強度と立体性に、わたしはもしかしたら今までで一番つよく、胸を打たれている。

    ありがとう、syrup。