『静脈』で思い出すのは、syrup16g presents "UP TO THE WORLD #2 静脈"。今は無きSHIBUYA-AXで、リリース直前に行なわれたもの。前日の〈動脈〉と同じで、ほぼ収録順のセットリストで進んでいく。シロップのライヴだが、諦めや絶望のような感情に共感する以上に、このバンドが持つメロディの美しさや、五十嵐隆というソングライターのセンスが前に出ていた記憶がある。『動脈』と『静脈』。この2枚のベスト・アルバムは、この頃ライヴでは毎回のように披露していた新曲を、なかなか音源リリースしようとしない彼らに業を煮やしたところもあるだろうが、ベスト・アルバムという形を取ることで、楽曲の良さ、みたいなものを改めて確認することができた側面がある。もちろんバンドを知るきっかけとしても良かった。しかし!だ。何でライヴの思い出を書いてるかというと、この日のアンコールに出てきた五十嵐が、弾き語りで披露したタイトル未定の曲が忘れられないからだ。この日、観に来るはずだったが来れなくなった父親を思い、昨日徹夜で作った1曲は、死と別離と寂しさが混沌としていて、その個人的な感情だけが突き刺さるもの。こういう彼の生の感情は、ひとりだと圧倒されるだけだが、バンドで鳴らされることによって、強い共感を生んでいく。この曲は後に「夢からさめてしまわぬように」となってラスト・アルバムに収録されることになるが、『静脈』そして『動脈』に収録された楽曲たちと、この弾き語りで感じたリアルの温度差は、五十嵐にとってバンドがどうして必要なのか、それがよくわかるものだった。そう、『静脈』そして『動脈』には、五十嵐とこの世界が通わせている血が脈打っているのだ。
金光裕史(音楽と人)
金光裕史(音楽と人)
明日を落としても。諦感のある歌詞と美しい曲。聴いていると不思議と心が楽になる。何度も何度も聴き続けてきた。大好きな曲です。
辛かった時期に助けられた曲が、
『明日を落としても』
普通の人が歌わないことを歌ってくれる
生きる必要ないよ、頑張らなくていいよって肩の力を抜いてくれる
そんな曲普通は作れないよ
本当に助けられてる。どうもありがとう。
私がsyrup16gの曲を聴きはじめたのは高校生の時。
親友からこの「静脈」を勧められたのがきっかけでした。
10年経った今でもこの「静脈」が私の血となり私の支えになっています。
あの頃は”神のカルマ”が心の支えになっていました。
でも今は”Reborn”が心の支えになっています。
何年経っても色褪せない、syrup16gの音楽はいつ聴いても心の支えです。
出会ったのは、高校生の時でした。
あの頃は、理想に近づこうとするのに必死で。自分で選んだ事なのに、やりたくてやってるはずなのに。気付いたら義務感になって、心が疲れて、自分のことも、未来のことも、何も分からなくなって。
決して満たされる事無く、とにかくがむしゃらに突き進むしか無かったあの時。
このアルバムは、そんな気持ちを言葉にする場所もなかった自分の、鬱蒼とした行き場のない心を表してくれている様な存在でした。
「Reborn」冒頭のストロークが鳴った瞬間、萎縮してしまった心が解放される感覚ー。
10年経った今でも変わりません。
きっと、この先の10年後、20年後も。
ずっと私に寄り添ってくれる音楽だと思います。本当にありがとうございます。
シロップがサブスク解禁になったことを知ったのは6月1日、土曜日の早朝。
私はSpotifyから「Reborn」を聴いた。
朝の5時に聴くような曲ではないし、聴いていて明るい気分になるような曲でもない。けれど、シロップがいてくれるから絶望を見ずに済むのだと思った。
シロップを初めて聴いたのは、もう15年以上前。私が大学生だった頃だ。
ある日「生活」がラジオから流れてきて一瞬で「好きだ」と思った。
当時、所属していた音楽サークルにもシロップ好きな子たちがたくさんいた。
そして、私は彼らのライヴを観た。生れて初めて行った夏フェスで。
しかし、社会人になり働きだした途端に、私はロックバンドの音を聴かなくなった。興味がなくなってしまったのだ。
だから、シロップが解散していたことも気付かなかった。
知ったのは、解散後しばらく経ってからだと思う。
けれど、2014年に復活を遂げてからは、リリースされたアルバムを買いに走った。そして復活したツアーを含め、2度ライヴを観に行った。
大学生の頃と同じように「好きだ」と思った。
ただひとつだけ違うのは、大学生の頃よりも歳を重ねた今シロップを聴く方が
心の奥の奥にまで沁みる感覚があることだ。
せっかくの休日なので、再び寝ようと思っていたけれど、「Reborn」を聴いたら眠れなくなってしまった。
その日は一日中シロップを聴いていたが、
シロップの不在を埋められるバンドが、他に居なかったことも実感した。