delayedead
2004.09.22 発売
UKDZ-0037
このアルバムは、第1期syrup16g完結、と謳われた。よって、これまでの楽曲の中から、未発表だったものや初期音源のリメイク、デモテープでしか存在してなかった曲が多くレコーディングされており、本気ですっからかんになろうとしたフシがある。それは2002年の『delayed』と同じコンセプトだが、大きく違っているのは、それ以降、躁状態のように新作をコンスタントに出してきたバンドが、この作品の後はぱったり音沙汰がなくなり、次のオリジナルは、4年後のラスト・アルバム『syrup16g』となったことだ。そのラスト・アルバムのレコーディングはメンバーそれぞれのパートがバラバラに行なわれ、バンドとしての体をほぼ生していなかったことを考えれば、実質このアルバムが、バンドとして血が通った最後の作品だったと言っていい。そしてすっからかんになることで、五十嵐は、まだここから何かを生み出せるはずだと、あえて自分を追い込もうとしていたんだと思う。ゆえにこのアルバムには、青さの臨界点、のようなところがある。だが、もうそうなりきれないと思ってしまったからこそ、五十嵐は何も書けなくなってしまい、バンドを終わらせる決断をすることになった。その前段階の、どんなバンドも真似できない純粋さと、ギリギリのせめぎあいの中での輝きが、このアルバムにはある。特に7曲目の「翌日」。こんな世界とこんな自分にどれだけ絶望していても、どこかで明日を待っている。諦めたくないその僅かな思いが、僕らの心に希望を灯すのだ。


金光裕史(音楽と人)

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“delayedead”のレビュー

  1. このアルバムが一番好き。
    最初から最後までむっちゃ気持ちいい。
    その中でも翌日。
    つべで見ると(聴くと)ガッちゃん若っ。
    と毎回思うけど今もあんま変わらない。(年とらないな、、)

    シロップを今も好きで聴くのは
    変わってないからかな。
    このアルバムは一直線に筋というか道筋真っ直ぐでアタマからラストまでストーンと突き抜ける、という感じがする。

  2. シロップを好きになり割と最初の方に手に取ったアルバム。
    しっかり聴き始めたのが再始動発表のほんの1〜2年前の話で、”翌日”のこのアルバムのバージョンのMVを観たのがきっかけ。
    “Free Throw”からの4曲はどれも鋭さを増して攻撃力を上げている。はっきり言ってこっちの方が好き。
    やるせなさ、どうしようもなさを感じるとともに、”俺はまだやれる”と念じながら最後の悪あがきをしているようにも聴こえる本作。いちばん好きなアルバムです。
    シロップが気になった人にいちばん初めにオススメするなら自分ならこのアルバムか”delayed”かもしれない。

  3. いつのまにか
    ここはどこだ
    きみはなにをしてる

    知らせるさ きみには
    きこえるかい

    本当に、いつのまに。
    そして、ここはどこだろねと。
    もうそのくらい長い時間が経った。
    ただただ、あの頃が懐かしいです。
    洗濯物の白いシャツが風になびいているだけみたいな、
    なんにもならない日々だったけど
    でも、今でもいとおしく感じる。

    もう 知らせられないな。

    文字通り人混みに染まって
    あきらめるもあきらめないも特に無いけど
    とても文句は言えない、人並みの人生です。

    2008年の武道館
    もう先に進まなきゃいけないと思った。

    明日が見える歌を、と
    五十嵐さんが言っていたけど
    翌日
    いつでもあのリフは鳴り続けています。

  4. 前頭葉が好きすぎる
    吹き荒ぶ突風のよう
    荒ぶる五十嵐ボーカル、かっこいい
    ソングライティングにしても、サウンドメイクにしても、ただただセンスが良い

    エビセンを聴くと、再発大阪を思い出してくすぐったくなる
    その前の名古屋でイマジンをやったことを知っていたから、うれしいような、ちょっとズッコケるような気持ちになったのもいい思い出

    syrupのかっこいいバンドサウンド聴きたいならこの一枚をオススメする

  5. 未発表作品集の第2弾。
    delayedに比べて攻撃的な曲が目立ち、-deadという語呂もなかなかにハマっている。

    前作から半年も空けずだが、今作は古巣のインディーレーベルからのリリース。
    アレンジ/製作面での方向性が前作と異なっているのはすぐに見て取れる。言わば、完全なる原点回帰。
    リスナーに提示するため、というよりは、五十嵐氏自身がsyrup16gとしてあるべき姿を取り戻したいがために製作されたように見えなくもない。
    表現として質の高い完成形を追求した前作に対し、創り手としての純度の高い表現衝動に従った今作。ベクトルは違えど、こちらもまたバンドの持つポテンシャルの到達点なのだと思う。