自分がレビューを書くもうひとつの作品『My Song』を、何度も何度もリピートしてから、その次に聴いたのがこれだったもんで、「うわ、全然違う! 音がすっきりしてる!」と、驚いた。違っていてあたりまえなんだけど。その二作の間には、12年半の月日が流れてるんだから。初期と現在では当然変わったと言えるし、解散前と再結成以降では音の出し方やアレンジのしかた、曲の書き方が大きく変わった、という見方もできる。
『Kranke』。Syrup16g、2015年5月20日リリースのミニ・アルバム。
プログレみたいに次々と展開する曲展開(一回目はイントロとして鳴る箇所が、二回目に出てくるところでは歌メロが付いていたりする)の上に、メランコリックで流麗な歌メロが乗る「冷たい掌」。
『Kranke』というタイトルはこの曲から来ているのではないかと思わせる(「病名は無いが患者」というラインがある)「vampire’s store」。
タイトルどおりインタールードの曲で、ふたつの歌メロ(片方は歌詞がなくてもう片方はある)が、夢現のように重なる「songline(Interlude)」。
「諦めない僕にThank youを 諦めの悪い 青春を 迷う」というサビがとても強い、そして「沈み掛けたら もう手が付けられない 色の無い世界からしばらくは動けない」というあたり、五十嵐隆が自分のことを本当にそのまま歌っているんだなあと思わせる「Thank you」。
ギター2本(アコースティックとエレキ)の響きとよく動くベースラインとバタバタしたドラムのアンサンブルが耳に残る、そして歌詞はもう本当に頭から最後までキラーフレーズだらけの「To be honor」。以上の5曲が収録されている。
まず、東京・NHKホールで五十嵐隆がソロでライブをやると発表、フタを開けたらリズム隊は中畑大樹&キタダマキで実質syrup16gだったのが2013年5月8日。
正式に再結成してアルバム『Hurt』をリリースしたのが2014年8月27日。で、その1年ちょっと後にこの作品が出たので、「え? もう出るの? 」「というかちゃんと年に一回リリースしてツアーしてるじゃん!」と、その精力的な動きっぷりに驚いた記憶がある。その(シロップにしては)ハイペースな活動は、2017年11月のアルバム『delaidback』と、そのリリースツアーまで続くことになる。
というわけだったので、「五十嵐、調子いいのかなあ」とか思ったものだが、今聴き直すと、よりはっきりする。調子よかったんだわ、これはきっと。
アップダウンなく普通に淡々と暮らせさえすればそれでいいのに、どうにもそれがかなわない苦しさ。わかり合えない、通じ合わない、共有できないという、ディスコミュニケーションのいかんともしがたさ。どうしても変わることができない、何かをあきらめたり捨てたりすることができない自分へのいらだち。その他いろいろ。
といった、五十嵐隆の抱える生きづらさがsyrup16gの表現の源になっている、というのは誰の耳にも目にもあきらかだが、それをキャッチーに、切れ味鋭く、コンパクトに。わかりやすく描くことに成功している。という点で、それ以前の数々の作品たちと並べてみても、かなり上の方じゃない、これ? と言いたくなる5曲に仕上がっている。
その上で、自分を完璧に描ききった、というだけに留まらず、自分を描くことがそのまま今の世の中・今の時代を描くことにもつながっている。
そんなことができている、ということは、調子よかったんじゃないか。と思うわけです。
「未来」「青春」「寄り添って」みたいな、ポップ・ミュージックの歌詞として昔から使われ続けてきた言葉を用いて、こんなに新鮮な、かつて誰も描いたことのない感覚の歌を生み出しているあたりに、特にそう感じる。
構成はややこしいのに甘いメロディ。イントロからAメロへのつなぎや、サビからAメロに戻る流れに、飛躍がある。サビのあとにもう一発(曲によっては二発)メロディが来る。といった、syrup16g特有のポイントを、「songline(Interlude)」以外の4曲のどれもが備えているあたりにも、そう感じる。
余談。ツアーの物販で、黒字に白でデカデカと漢字のプリントを入れるTシャツをsyrup16gはよく作るが、この作品の時は「患者」だった。ホール・ツアーで、季節は夏で、東京公演は渋谷のNHKホール2デイズだった。ライブが終わり、このTシャツを着たお客さんたちが、公園通りを渋谷駅に向かってゾロゾロ歩いて行くさま、とても異様だったのをよく憶えています。
兵庫慎司
『Kranke』。Syrup16g、2015年5月20日リリースのミニ・アルバム。
プログレみたいに次々と展開する曲展開(一回目はイントロとして鳴る箇所が、二回目に出てくるところでは歌メロが付いていたりする)の上に、メランコリックで流麗な歌メロが乗る「冷たい掌」。
『Kranke』というタイトルはこの曲から来ているのではないかと思わせる(「病名は無いが患者」というラインがある)「vampire’s store」。
タイトルどおりインタールードの曲で、ふたつの歌メロ(片方は歌詞がなくてもう片方はある)が、夢現のように重なる「songline(Interlude)」。
「諦めない僕にThank youを 諦めの悪い 青春を 迷う」というサビがとても強い、そして「沈み掛けたら もう手が付けられない 色の無い世界からしばらくは動けない」というあたり、五十嵐隆が自分のことを本当にそのまま歌っているんだなあと思わせる「Thank you」。
ギター2本(アコースティックとエレキ)の響きとよく動くベースラインとバタバタしたドラムのアンサンブルが耳に残る、そして歌詞はもう本当に頭から最後までキラーフレーズだらけの「To be honor」。以上の5曲が収録されている。
まず、東京・NHKホールで五十嵐隆がソロでライブをやると発表、フタを開けたらリズム隊は中畑大樹&キタダマキで実質syrup16gだったのが2013年5月8日。
正式に再結成してアルバム『Hurt』をリリースしたのが2014年8月27日。で、その1年ちょっと後にこの作品が出たので、「え? もう出るの? 」「というかちゃんと年に一回リリースしてツアーしてるじゃん!」と、その精力的な動きっぷりに驚いた記憶がある。その(シロップにしては)ハイペースな活動は、2017年11月のアルバム『delaidback』と、そのリリースツアーまで続くことになる。
というわけだったので、「五十嵐、調子いいのかなあ」とか思ったものだが、今聴き直すと、よりはっきりする。調子よかったんだわ、これはきっと。
アップダウンなく普通に淡々と暮らせさえすればそれでいいのに、どうにもそれがかなわない苦しさ。わかり合えない、通じ合わない、共有できないという、ディスコミュニケーションのいかんともしがたさ。どうしても変わることができない、何かをあきらめたり捨てたりすることができない自分へのいらだち。その他いろいろ。
といった、五十嵐隆の抱える生きづらさがsyrup16gの表現の源になっている、というのは誰の耳にも目にもあきらかだが、それをキャッチーに、切れ味鋭く、コンパクトに。わかりやすく描くことに成功している。という点で、それ以前の数々の作品たちと並べてみても、かなり上の方じゃない、これ? と言いたくなる5曲に仕上がっている。
その上で、自分を完璧に描ききった、というだけに留まらず、自分を描くことがそのまま今の世の中・今の時代を描くことにもつながっている。
そんなことができている、ということは、調子よかったんじゃないか。と思うわけです。
「未来」「青春」「寄り添って」みたいな、ポップ・ミュージックの歌詞として昔から使われ続けてきた言葉を用いて、こんなに新鮮な、かつて誰も描いたことのない感覚の歌を生み出しているあたりに、特にそう感じる。
構成はややこしいのに甘いメロディ。イントロからAメロへのつなぎや、サビからAメロに戻る流れに、飛躍がある。サビのあとにもう一発(曲によっては二発)メロディが来る。といった、syrup16g特有のポイントを、「songline(Interlude)」以外の4曲のどれもが備えているあたりにも、そう感じる。
余談。ツアーの物販で、黒字に白でデカデカと漢字のプリントを入れるTシャツをsyrup16gはよく作るが、この作品の時は「患者」だった。ホール・ツアーで、季節は夏で、東京公演は渋谷のNHKホール2デイズだった。ライブが終わり、このTシャツを着たお客さんたちが、公園通りを渋谷駅に向かってゾロゾロ歩いて行くさま、とても異様だったのをよく憶えています。
兵庫慎司
僕がこのEPで感じ入れるのは、2曲目「vampire’s store」、その1曲のみである。
「歌うべき対象を絞り切れない」というのが第二期syrup16gの最大の弱みだと僕は考える者なのだが、
幸か不幸か、その弱みがこの2曲目にだけ、プラスに働いている。
非常に遠景に見て、比喩で誤魔化しながら、五十嵐が歌うのは、クランケ(患者)のようなメンタルを抱える、自分でもそのリスナーでもなく、
それを取り巻く「世界」だった。それを様々な言葉で網羅的に語ることで、彼は世界の活写に成功した。
「夕暮れ」や「膝枕」、「輸出経路」なんて言葉が、五十嵐の声によって全く違う意味を帯び、赤黒い情景へと変えていく。
「HELL-SEE」という化け物アルバムを作った五十嵐の動力を、垣間見れているといっても過言ではない。
まるでビーイング系のポップロックのようでいて、疑念や嘲笑が渦を巻く「vampire’s store」の曲調は、
dvd「ghost pictures」にてしか収録されていない「shout to the sky」と肩を並べる名曲である。
syrup16gにしか描けない、「2015年という(全く違うのに五十嵐によって定義された)「世紀末」」。
「掌握」「暴発」「混乱」。赤い帽子をかぶった海の向こうの金髪があらわれてからずっと、僕らはそんな怪しいバザールのような世界で、眩暈を起こしている。
音楽で泣くなんて大袈裟だと思っていたのに、To be honorを聴いたときは涙目でした。
「To be honor」より
空気読むな 主導権は 君じゃなきゃ 不健全だろう
という歌詞が異様に響きました。
そうなんだよなぁと納得させられます。
このアルバムは渋谷のスクランブル交差点あたりで聴くと特に良いですね。
vampire’s storeの「病名は無いが 患者」
の一節は自分にとって横っ面をひっ叩かれたような衝撃的な歌詞でした。弱者が強者になりえる世の中で、苦しいほどに正常な人達をも肯定しているような懐の深い歌詞を生み出す五十嵐さんを想うと胸が苦しくなります。
Thank youを聴いた時、五十嵐さんのヤケクソ的な自己肯定を感じとてもホッとしたことを思い出します。
1枚通して名曲です。
ホラー映画のようなジャケットとロゴの不穏さ、めちゃくちゃカッコいいです。
(ジャケのモデル誰なんでしょう?)
上手い大人の音になってる、というのが第一印象。ホールみたいなそこそこの規模感の箱のライブで聴くと、スケール感あります。ただ、ホールツアーあたりの客の地蔵感が好きじゃなかったから、次回からより小さいライブ会場に向く楽曲を出したのかもしれません。個人的には全体的な作りの綺麗さや上手さでは歴代アルバム一番。
前作もそうなんですが、キタダさんのコミットと、中畑さんのsyrup16g 活動休止後の経験による支えがでかいです。
すぐ黄昏たりヤケクソになったり諦念入って引きこもる楽曲が過去多かったんで、たまにこういうアルバム聴くと大人なバンドになったsyrup16gもいいなって思います。