My Song
2003.12.17 発売
COCP-50772
2003年12月17日リリースの2ndシングル。5thアルバム『Mouth to Mouse』の先行シングル2作のうちの1作で、同アルバムにも入っている「My Song」「夢」と、アルバム未収録の「タクシードライバー・ブラインドネス」「イマジン」「テイレベル」の全5曲。
そうか、「タクシードライバー・ブラインドネス」ってオリジナル・アルバムには入ってないのか。解散前も復活後もライブでよくやっている印象なもんで、そう思ってなかった。「イマジン」も未収録だとは思わなかった。「テイレベル」もだ。この2曲はライブでよくやっているわけではないが、それくらい強く記憶に強く残っている、ということだ。
なんで。このシングルが出た当時、けっこうショックだったので。
「それは無いものねだり 求めちゃいけない 分かり合うとか 信じ合うとか そんなことどうだっていい」と歌う「My Song」や、「空はこの上 天国はその上 そんなの信じないね 空は空のまんまで 人は人のまんまで そのままで美しい」で終わる「イマジン」は、まだいい。「若干クズだが 人間としてはまぁザラ」である「テイレベル」も。
しかし。Bメロ~サビが「未来は無邪気に割り振られ 人は黙ってそれを待つ」「そこにあるすべて それがもうすべて 求めればまた失うだけ」である「タクシードライバー・ブラインドネス」と、「俺は夢を全て叶えてしまった」「本能を無視すれば 明日死んじまっても 別に構わない 本気でいらないんだ 幸せはヤバいんだ」と歌う「夢」には、「そこまで言う!? そこまで思う?」と、びっくりした。
その頃のsyrup16gは、ロック・フェスに出たり、ART-SCHOOLやレミオロメン等と数バンドでツアーを回ったり、まるで普通の新人バンドのように精力的に活動していた。あの五十嵐がよくそんなことを、と思う。いや、当時も「へばっちゃうかな」という心配はあったが、そのツアーが終わった時、「打ち上げだけが楽しみな毎日になるかと思ったけど、結局ライブをやっている時がいちばん楽しかった、それがよかった」みたいなことをインタビューで言っていたので、意外と大丈夫だった、と思っていた。
しかし。心の中は、この作品のようなことになっていたわけだ。究極まで行ってゼロになってしまった、というか。何も望まないことが一番、というか。何かに執着することから不幸が始まる、というか。書いているうちに、仏教の教えみたいだなと思えてきた。でも実際、そう遠くない気もする。というか、ああいう教義って、こんなふうな思考の末に生まれたものなんだな、と、納得したりもする。
というわけで、とてもショックを受けたのだった。
ただ、今になって聴き直すと、「夢」や「幸せ」が絶対的なものとして位置づけられていること、ポップ・ミュージックや映画や小説などの表現のほとんどがそれを盲信していることへのカウンターとして、こういう曲を書いた、という要素もあったのかもしれない、とも思うが。

サウンド的なことも書いた方がいいか。
「My Song」は、「Reborn」や「I.N.M.」、「明日を落としても」なんかに通ずる、ドラマチックなメロディのバラード。アコースティック・ギターに中畑大樹の細かいハイハットがからんでいくさまと、ストリングスっぽいキーボードの響きが新鮮。
「タクシードライバー・ブラインドネス」は、イントロ・Aメロ・Bメロ・サビ・大サビ、それぞれの展開のしかたが、いちいち思いもよらなくて,強く耳にひっかかる。もともと五十嵐隆というのは、とても独特なコードワークでギターを弾き、曲を作る人だが、それがわかりやすく出ている曲と言える。
「夢」は、キタダマキのベースのうねる感じがもっとも活きるミドル・テンポ(BPM90くらい)の曲。五十嵐がフルコーラスでハモリを入れているところが特徴的。よおく聴くと、シンバルと同じくらいの音域で、アコースティック・ギターが入っていたりもする。
「イマジン」は、Aメロが来るたびにバックが荒々しくなっていったり、間奏開けのサビの次のBメロのところで突然単音弾きのリード・ギターが入ってきたりする、ラジカルなアレンジの曲。今Aメロとかサビとか書いたが、そもそもシロップの場合、どれがAでどれがサビなのか、判断が難しい。この曲でサビの役割を果たしているのはAメロだし。
「テイレベル」は、90年代USオルタナティヴと、90年代UKギター・ロックのハイブリッドとしてのsyrup16gサウンドがストレートに表れている作り。何かこの曲だけ、ライブ・バージョン? 一発録り? と思わせるような、ガレージっぽい録られ方。ギターとかも重ねてないようだし。


兵庫慎司

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“My Song”のレビュー

  1. 愛する人がいて、守るべき存在があって、世間では幸せの二文字で片付けられてしまうようなユートピアが時として地獄に思える。どこまでいっても空っぽのまま、「この上」なんてきっとない。残酷なまでに単調な日常から逃れようと走り続けても、決してどこかに行き着くことはない。本当の幸せが何かはわからないけれど、それはきっとゴミ袋の口を縛って投げ捨ててしまえるくらい脆くて不確かなものなんだろう。そんな底無しの虚無感を赤裸々に突きつける。そこにあるのは救済ではなくて、でも共鳴してしまうなにかがあって。そもそも救いを求めること自体がたぶん傲慢なのだ。最低の環境と最低の感情を抱えたまま、そこに鳴り続けてほしいと思える音があるとしたら、少なくもとこの5曲がそうなのだと思う。