2002年6月にメジャーデビュー作として発表された『coup d'Etat』
後にも先にも、同年代の日本のバンドの作品からここまでの衝撃を受けたことはないと思う。
Syrup16gとの出会いは2000年頃、新宿JAMというライブハウスで、動員も100人に満たない小さなイベントでの対バンだった。
下北沢のハイラインレコードで売られていたインディー音源のカセットテープで、楽曲を聴いたことはあったけれど、ライブを観るのはその日が初めてだった。
内省と諦念感、そこに緊張と狂気が入り混じる、異様な存在感に魅力された。
濁っているのに美しくて、壊れそうで、こんなバンドには出会ったことがなかった。
楽屋で話すと、メンバーお三方とも意外に穏やかで柔らかな人柄が印象的だった。
当時の下北沢界隈のバンドシーンに馴染めない捻くれ者だった僕は、五十嵐さんを先輩として慕うようになり、インディー時代は何度かライブに足を運んでいた。
アッパーな曲は演りたくないと言って、座ってライブをやっていた時期もあった。
それからしばらくして、2002年のメジャーデビュー前後頃、Syrup16gというバンドのスイッチが確実に切り替わるのを目の当たりにした。
このバンドが日本の音楽を変える予感がした。
『coup d'Etat』というアルバムの中に表された圧倒的な才能は、想像を超えるものだった。
メロディ、コード、アレンジ、意表を突く曲の展開は、実験的という言葉では片付けられない絶妙な可能性で成り立っていて、その上で攻撃的に歌われる言葉は、日常や現実を独特な角度の目線と感覚で切り取っていて、過去に誰かが歌ってきた何にも似ていなかった。
同調や集団意識に矛盾を感じ、辟易して孤立してしまいそうな人達にとって、シロップの音楽は心の拠り所となったはずだ。
「神のカルマ」「天才」などの激しい曲にも胸を熱くしたけれど、僕は特に「ハピネス」という曲が好きで、今も時々聴き返してはあの頃の気持ちを取り戻す。
ねえ そんな普通をみんな耐えてるんだ
ねえ そんな苦痛をみんな耐えてるんだ
ホリエアツシ(ストレイテナー)
後にも先にも、同年代の日本のバンドの作品からここまでの衝撃を受けたことはないと思う。
Syrup16gとの出会いは2000年頃、新宿JAMというライブハウスで、動員も100人に満たない小さなイベントでの対バンだった。
下北沢のハイラインレコードで売られていたインディー音源のカセットテープで、楽曲を聴いたことはあったけれど、ライブを観るのはその日が初めてだった。
内省と諦念感、そこに緊張と狂気が入り混じる、異様な存在感に魅力された。
濁っているのに美しくて、壊れそうで、こんなバンドには出会ったことがなかった。
楽屋で話すと、メンバーお三方とも意外に穏やかで柔らかな人柄が印象的だった。
当時の下北沢界隈のバンドシーンに馴染めない捻くれ者だった僕は、五十嵐さんを先輩として慕うようになり、インディー時代は何度かライブに足を運んでいた。
アッパーな曲は演りたくないと言って、座ってライブをやっていた時期もあった。
それからしばらくして、2002年のメジャーデビュー前後頃、Syrup16gというバンドのスイッチが確実に切り替わるのを目の当たりにした。
このバンドが日本の音楽を変える予感がした。
『coup d'Etat』というアルバムの中に表された圧倒的な才能は、想像を超えるものだった。
メロディ、コード、アレンジ、意表を突く曲の展開は、実験的という言葉では片付けられない絶妙な可能性で成り立っていて、その上で攻撃的に歌われる言葉は、日常や現実を独特な角度の目線と感覚で切り取っていて、過去に誰かが歌ってきた何にも似ていなかった。
同調や集団意識に矛盾を感じ、辟易して孤立してしまいそうな人達にとって、シロップの音楽は心の拠り所となったはずだ。
「神のカルマ」「天才」などの激しい曲にも胸を熱くしたけれど、僕は特に「ハピネス」という曲が好きで、今も時々聴き返してはあの頃の気持ちを取り戻す。
ねえ そんな普通をみんな耐えてるんだ
ねえ そんな苦痛をみんな耐えてるんだ
ホリエアツシ(ストレイテナー)
中学生だった私とsyrup16gを出会わせてくれた、あのド田舎のCDショップを思い出す。
よくあんなところにこんなCD並べてたな。
22年一緒にいてくれてありがとう。
現在はアナログ盤同様に「AnotherDayLight」が追加されているが、私が初めて聴いたのは「My Love’s Sold」から始まるオリジナル発売時のCD盤
一番頭に残ったのは「バリで死す」
この曲はライヴで演奏した事があるんだろうか?
五十嵐氏が祖父母の付き添いでバリ島に行きケチャに衝撃を受け引きこもった…という実話から作られたのが面白い
こんな曲は洋楽含めても、聴いた事が無かった
高校でNirvana『In Utero』やJohn Lennon『John Lennon/Plastic Ono Band』を聴いて、その容赦無き剥き出しの音と詞に衝撃を受けたが、大学でそれに近い衝撃を与えてくれたのはManic Street Preachers『The Holy Bible』とこの作品でした
そうなんですよね。20年経ってもまだ汚れたいだけなのです。
汚れに憧れるのはキレイさ(保身)を捨てきれていないから?いつになったら平常心でこの曲、このアルバムを聞けるんだろうとまだまだもがく日々です。
かわいい子供もできたしそれなりに仕事もノってきたし経済的な不自由はあの頃から比べるとだいぶ減った。それでも何も変わってない?変わりたくない?いや変わってしまった?
聞くたびにおれの心にクーデターを起こし続ける、聴くのがちょっとしんどい最高の名盤です。出会えてよかった。
最後に、この場を借りて、シロップのみなさん、今の俺があるのはあなたたちのおかげです。
他のレビューのメンヘラっぽい文面見て面白がってたけど、いざ書き出すとこういうことになるんですね。よく分かりました。
テレビをつけたら何も感じなくなってしまった自分に
ずっと響き続けているのがsyrup16g。
「coup d’Etat」からsyrup16gの世界に入り込んでいきました。そういう思い入れのあるアルバムです。中学生の時でした。このアルバムはもちろん他アルバム楽曲も、あの頃はバスに揺られながら、夕日に染まる町を歩きながら、夜窓の外を見ながら、大人になった今は家で寝そべってイヤホンつけて目を閉じて、何度も何度も聴きました。
「遊体離脱」を聴くと、中学生時の感覚の端っこに今でも触れることができます。私は個でありながら、世界という全体にごちゃ混ぜにされて、何かが希薄になっていきそうになるのを感じつつ、しかし結局どうしようもなく私でした。そしてとても苦しくて悲しかったのに、とても美しいと思いました。その美しいと思えた感覚を持って、生きている気がしたんだと思います。
syrup16gの楽曲はあまり人と語り合うものではないかもしれません。詞を聴いて思い起こす状態や状況瞬間はそれぞれが特殊に個人的でむしろ噛み合わないことがあるのではと感じています。でもsyrup16g、五十嵐さんの体験のその中に見えた感情がカタチとなって聴かせてもらえたことが、その楽曲に同調し聴き込む人たちがいるということが、十分すぎるほどの共感だと感じています。
多分これから年老いても、認識させられた感覚は人生の中に存在し続けるんだろうなと思います。出会えてよかったです。